1963年、北京燕山にクラレビニロンプラントを成約。

中国では民生向上のために化学繊維工業の発展が急務であったが、ナイロンはアメリカのデュポン社が特許を持っており中国は導入できなかった。周恩来総理から相談を受けたクラレの大原総一郎社長が、クラレが独自に開発した化学繊維であるビニロンの製造プラントの対中輸出に同意、日本から中国への戦後最初の大型プラント輸出が実現した。