1978年、陝西省咸陽に日立CPT(カラーブラウン管)製造ラインを成約。

1979年、上海に日立カラーTV組み立てラインを成約。

文化大革命(1966年~1976年)の期間、中国人民は10年間にわたり娯楽を失っていた。鄧小平は民生の安定のためには娯楽の提供が必要と考え、カラーTVの普及を政策として決定した。

その後、077(東莞)、080・081・082(上海)、089(咸陽)と中国各地のCPT工場建設に携わる。